【本>歴史】 昭和史の10大事件 宮部みゆき×半藤一利
昭和35年生まれの宮部みゆきと昭和5年生まれの半藤一利。年の離れた高校の先輩後輩である2人が東京下町の思い出とともに昭和を斬っていく「昭和史の10大事件 宮部みゆき×半藤一利」のお話です。
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- 昭和時代、特に戦前・戦後の社会情勢や重要な出来事に関心がある人
- 宮部みゆきや半藤一利の作品や活動に興味を持っている人
- 昭和生まれや、昭和の雰囲気や文化に触れたいと思っている人
- 歴史や文化に詳しくないが、昭和時代の重要な出来事やその背景について理解したいと思っている人
1つでも当てはまっていればOKです!
本記事の内容
2人が思う昭和の大事件とそれぞれの見方
半藤さん、宮部さんがそれぞれ自分の思う昭和の約10の事件リストを見せ合って、対談しながらこの本としての10個にまとめていく話になっています。2人の共通している項目と違う項目が半分ずつくらいで面白いです。昭和5年生まれの半藤さんは自分の思い入れの強い事件、推理作家の宮部さんは小説になりそうな事件と選び方の違いが絶妙にふくらみを持って面白い対談になっています。
昭和の始まりはしょっぱなから金融恐慌
金融恐慌は失言から始まった
大正15年から1週間限りの昭和元年(後述)を挟んで華々しくはじまった昭和2年の3月、大臣の「どうやら○○銀行がつぶれます」という失言(デマ)によって民衆が銀行に押し寄せ、急に現金を用意できるはずもない銀行は結局休業、その他の銀行も軒並み休業になるという大変な騒ぎとなりました。関東大震災(大正12年)の震災手形の影響もあり、昭和2~6年はどん底の不況だったそうです。この様子はジブリ映画「風立ちぬ」(岡田斗司夫解説)にも表現されています。
昭和元年は1週間しかなく元年生まれはほぼいない
大正時代が終わったのは12月の末で「昭和元年」は12月25日~31日の1週間しかありませんでした。昭和と平成の境目「昭和64年」は1月7日までしかなく64年生まれやその硬貨が珍しいことは比較的最近のことなのでよく知られています。昭和の始まりと終わりの年がどちらも7日間しかないというのは不思議な一致ですね。
そのため昭和元年生まれの人は非常に珍しく特に女性はほぼいない。理由は当時数え年でみんな元旦に1つ年を取るので、生まれて1週間で2歳になるなんて、女の子は早く年を取ったらかわいそうだということで、1月1日生まれで届けられていることが多いのだそうです。
(余談)ギリ昭和
数え年など知らない昭和60年代生まれの我々もなぜか平成と大きなギャップを感じています。この曲がすべてを語っています。キュウソネコカミ「ギリ昭和」(歌詞)
キュウソネコカミは4人が昭和62(1987)年生まれで、ゆとり教育が始まった第一世代。ちなみに私まっしろめは1年上、昭和61(1986)年生まれの「ギリゆとりじゃない世代」です。ここに境目が引かれたのは1986年生まれが気性の激しいという「五黄の寅」でコントロール効かないからか!?とにかく自分たちの教科書は2色刷りで字がぎゅうぎゅうしてたのですが、弟の教科書はフルカラーでスペースもたくさんでおまけに薄くなっていました。うらやましい~と同時にほんまにこれでええのんと心配になりましたよ。なかなか気持ちよく振り切った改革だったと思いますが、やっぱりもう少し詰め込むように教育は戻っているみたいですね。 そのあとの1988年生まれは、昭和63・64・平成元年生まれが同じ学年にいてなんかややこしそうです。このように昭和60年代生まれは色んな境目があり同世代なのによくわからんギャップを感じています(笑) |
戦前と戦後
戦争に向かうまでのごたごた
陸軍の若い兵士が重臣たちを襲撃した二・二六事件(昭和11年)が起こり、そのあと陸軍主導の軍国主義国家が形成されていきました。この陸軍の一連の行動に怒っていたのは海軍。あわや陸軍と海軍で争いが起こるところでした。国内の陸・海軍が争ったという記録は、世界のどこにもない。そうなっていたらまた歴史が大きく変わっていただろうということです。
戦後の経済成長と割り切れない気持ち
金閣寺焼失
金閣寺焼失事件(昭和25年)は、当の金閣寺で修業していた若い僧侶が起こした。終戦後5年で落ち着いてきたころ朝鮮戦争が始まり、それに乗っかって活気づく日本。金閣の美しさやそれを見に来る豊かな人と、変わらず貧しい人。戦中と戦後の考え方がガラッと変わった矛盾などに腹を立てて放火した。三島由紀夫の小説「金閣寺」はこの僧侶の育ちや心情を深堀して動機としているが、当時を生きた半藤さんとしては、もっと時代に即した感情、この時だからこそ巻き起こった感情が事件となって表れたのだと語ります。
半藤さんオリンピック出場逃す
え、半藤さんはスポーツ選手だったの?!現代ならオリンピックに出る人は幼少期から練習に大会にと競技ひとすじな生活を送る場合がほとんど。ですが、この時代はそうではありません。なんと大学から始めた部活で出場できる立場にありました。ちなみに昭和23年のロンドンオリンピックは日本とドイツはIOCから出場を断られたので、昭和27(1952)年が戦後初の日本のオリンピック出場となります。
半藤さんがやっていたのは東大入学後に入った部活のボート競技。このころは実業団はなく大きな大学しかボート競技をできなかったそうで、入学当初からオリンピックに出られるかもということでボートを選んだそうです(笑)。最終的に全日本選手権で、数十センチの差で慶応大学チームに敗れて出場できなかった東大チームの半藤さん。会場が慶応のホームだったとか悔しい理由は尽きないようです。宮部さんはそこで出場していたら歴史探偵(半藤さんの愛称)が誕生しなかったので良かったとうれしそうです。
皆の恐怖を形にした第一作目のゴジラ
ゴジラ映画の第一作目(昭和29年)は、第五福竜丸が水爆実験で被ばくした直後に発表された。まだ10年もたたない被ばくの恐怖や戦争の恐怖をみんな心のうちに持っていてそれを黒い大怪獣として形に表したものと考えられる。このゴジラだけは後の物と違いそういう時代背景を背負った作品だそうです。
昭和と似ている令和?(個人的感想)
字面と発音からして似ている昭和と令和。昭和2年はデマから金融恐慌が起こりましたが、令和2年には新型ウイルス騒ぎでマスクや体温計が店頭からなくなり、デマでトイレットペーパーやティッシュペーパーも消えました。2020年にもなってこんなことが起こるなんてと目を疑いましたね。ウイルスはいまだに脅威として生活の中にあって、経済的にも影を落としています。おそらく昭和初期のように複数年にわたり引きずるものと思われます。
大正と平成も、なんとなく平穏で自由だったが大震災が起こったということと、時代の短さも似ている気がします。
昭和初期に生まれた半藤さん(2021年1月永眠)やおじいさんおばあさん世代はどんどんいなくなってしまいますが、昭和史をよーく見直して、令和の民衆の私たちは気を引き締めていかなければいけないと思います。
まとめ
- 宮部みゆきと半藤一利が、それぞれの昭和の大事件について対談し、10個のリストにまとめる
- 半藤さんは思い入れの強い事件を、宮部さんは小説になりそうな事件を選ぶ傾向があった
- 昭和元年は年末のわずか1週間しかなかった
- 二・二六事件に端を発し、陸軍と海軍の対立があった
- 金閣寺焼失事件は、戦前と戦後の矛盾が表れた事件であり、時代の変化に対する怒りが事件の背景にあった
- ゴジラの初代映画は、戦後の社会的恐怖や不安を象徴する作品として位置づけられる
- 半藤一利は学生時代、あと一歩でオリンピック出場を逃した
よろしければ読んでみてください!
最後までお読みいただきありがとうございました。