【本】ニュースでわかる ヨーロッパ各国気質〈7〉セルビア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ

1冊でヨーロッパの国の特徴がわかる本「ニュースでわかる ヨーロッパ各国気質」のお話です。

今回は”旧ユーゴスラビア”から生まれた6つの国。
ちなみに旧ユーゴスラビアは第一次世界大戦後にできた南スラブ人の国です。

【本】ニュースでわかる ヨーロッパ各国気質〈6〉ロシア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの続きになります

こんな人におすすめ
  • ヨーロッパに興味がある
  • 各国の特徴を知りたい
  • ヨーロッパの人と仕事で関わっている
  • 旅行したい

1つでも当てはまっていればOKです!


旧ユーゴスラビアの多様性を表す1~7の数字

ユーゴスラビアが存在した頃、その多様性を表現するのに、1から7の数字が使われていた。

  • 1つの国
  • 2つの文字(ラテン文字とキリル文字)
  • 3つの宗教(カトリック、セルビア正教、イスラム教)
  • 4つの言語(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)
  • 5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人)
  • 6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)
  • 7つの国と国境を接する(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ギリシャ、アルバニア)

今となっては懐かしい表現であるが、一つの国として運営していくことの難しさを象徴していたと言える。

(参照):灼熱 クロアチア人とセルビア人の対立はなぜ起こったのか?

現在は”6つの共和国”にあるとおりに分かれています。スロベニア以外の国ではユーゴ時代のほうが良かったという声があるようです。
旧ユーゴの共産主義時代は、貧富の差がなく気ままに仕事をして暮らせました。しかも、アメリカ&ソ連、東西ヨーロッパのどちらにもビザなしで行ける、当時としては極めて稀な国だったそうです。
それは、チトー大統領の辣腕政治によるところが大きいといいます。第2次世界大戦中もソ連に頼らずにナチスドイツの包囲を自力で打ち破り、その後、東西陣営どちらにも与しない第3の道を切り拓きました。

結果的に東西両陣営から経済援助を受けたことで、生活は米国以上に自由で、悠々自適の生活を楽しんでいたそうです。

(参照)imidas

じつはセルビアからコソボが独立してまた国が増えていました。

セルビア

旧ユーゴの迷える長男

セルビアは旧ユーゴスラビアの中心となっていた国です。

p363
ユーゴ紛争を経て、旧ユーゴスラビアにあった6つの共和国はそれぞれ独立した。しかし、セルビアだけは希望もなく、敗北感と哀愁を背負って生きてきた。いわば、南スラブという大家族の中で、弟や妹は、豪語磊落(らいらく)で威張っていた長兄に嫌気がさして出ていき、セルビアひとりが家に取り残されたといった感じだ。
父親の「チトー」が逝った後、どうして「家族」がバラバラになってしまったのかと、くよくよ考えるのはやめにして、みんなと同じようにEUに入ってみようと歩み出したものの、交渉はなかなかうまくいかない。

p365
もともと声の大きい人々で、夫婦喧嘩ともなれば怒鳴り合いで、女性も負けてはいない。ただ、日頃から健康的に発散しているので、夫による妻への家庭内暴力は少ない。もっとも、この国の女性は腕力も体力もある。しかも、共産主義の名残で女性は外で働くのは当たり前で、そのうえ料理、洗濯、掃除など家事も仕切っているので、男性は、家では女性に逆らわないのが賢明と心得ている。

近代化は遅れてしまったが、たくましい国民性です。

スロベニア

人づき合いがうまく、EUに同化

位置的にもイタリア、オーストリア、ハンガリーと接しているスロベニアは、わりとすんなりとEU化したようです。

p368
ユーゴ内戦では最も被害がなく、唯一、「十日間戦争」を経ただけで独立を宣言。EU加盟をいち早く果たし、ユーロ通貨も導入。周辺諸国と上手におつき合いする必要性があったことから、語学は堪能で世故に長け、必要とあらばリップサービスも辞さない。上品にソフィスティケートされている反面、ナショナリズムは弱く団結力に乏しい。

クロアチア

イタリアの宗教観、ハンガリーの上品なマナーを継承

アドリア海を挟んでイタリアの長靴型の後方と向かい合っているクロアチア。その影響でカトリックが多いようです。内陸側ではハンガリーと接しています。

p373
クロアチア人は、ハプスブルク帝国の文化や雅やかで上品なマナーを愛しながら、スラブの伝統も大切にしている。(略)空気を読むのがうまい、世渡り上手ともいわれる。また(略)あまり顔には出さないが、非常に変わり身が早い。
東西両陣営を手玉にとって第3の道を切り拓いたチトー大統領が(略)、クロアチアで生まれ育ったことはうなずける。

p374
イタリア以上に信仰心に篤いといわれるのがポーランド。だが、クロアチアもそんなポーランドにひけをとらないカトリック教徒の国で、人口440万人のうち約90パーセントがカトリックを信仰している。

p375
クロアチアでは国の伝統を守ろうとする、カトリック教会の斬新な取り組みが話題になった。2009年2月4日付の現地日刊紙『ユタルニ・リスト』によれば、地中海の湾岸都市、プロチェのカトリック教会では、子どもを洗礼する際にカトリックの聖人や祖父母の名前を付けた親には、1000クーナ(約16000円)の報奨金を贈呈するという。
独立以来、急激なグローバル化の波が押し寄せたクロアチアでは、若いカップルが外国でも通じるおしゃれな名前をつけるのがブームになっているからだ。

ボスニア・ヘルツェゴビナ

民族の入り交じりが特に多い

p377
旧ユーゴスラビアには「6つの共和国」があったが、「5つの民族」しかなかったのは、唯一、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国には固有の民族が存在しなかったからだ。

複数の民族が居住していたことから独立時には3つ巴の内戦が起きてしまいました。

日本好きのオシム監督

p381
朴訥で、無口で、旧ユーゴでは頭の回転が遅い田舎者とからかわれていたボスニア人だが、実際にはボスニア出身のサッカー日本代表のオシム監督のように、生活に根付いた知恵と、苦労したぶんだけ他人の痛みがわかる、深い思いやりにあふれている。

イビチャ・オシムは、サッカー旧ユーゴスラビア代表の最後の監督。選手としてはなんと1964年の東京オリンピックに出場しています。それで日本を気に入ったことから、のちに来日し日本代表監督をすることにつながったようです(2006~2007年)。民族分類ではクロアチア人だが、本人は分類されることを嫌っており、どの民族からも尊敬を集めているそうです。

マケドニア

ギリシャとのいざこざも

マケドニアはギリシャと接していて、そちらとのいざこざもあるようです。

p382
かのシーザーやナポレオンも憧れたという、ペルシャやインドへと版図を広げた古代マケドニア王国のアレクサンダー大王。マケドニア人は、その末裔と言ってはばからない。だが、学術的には、現マケドニア人は7世紀ごろにバルカンにやってきた南スラブ人で、古代マケドニア人とは別の民族とされている。1991年に旧ユーゴスラビアから独立したときに「マケドニア」と名乗ったところ、ギリシャから猛反発を受けた。王国のあった古代マケドニアは、現在のブルガリア西部、アルバニア東部、マケドニア、ギリシャ北部にまたがっていて、ギリシャは、みずからが本家と固く信じて譲らない。

p384
1963年の大地震で、首都スコピエの街は壊滅的な被害を受け、そのときに復興支援したのが日本だったという。そんなことも手伝って、マケドニア人は日本に対して親近感と高い親近感と高い信頼を置いている。
独立後、最初に国旗としたのは、古代マケドニア王国の旗と同じものだったため、さっそくギリシャからクレームがついた。
そこで新たな国旗にデザインのモデルとなったのが、大日本帝国の称していた頃に海軍が使用していた旭日旗だった。日本の旭日旗は赤い太陽が16の光線を放つが、マケドニア国旗は黄色い太陽が8本の光線を発するもので、国名も「マケドニア旧ユーゴスラビア」とすることで、かろうじて国連加盟を果たした。

p386
ここに暮らす民族には多数派のマケドニア人のほか、アルバニア人、トルコ人、ロマ人(ジプシー)、アルーマニア人(バルカン地方に分布)、セルビア人などがいる。マケドニアは小さな国土に、多数の民族を抱える不安定な国だ。
そんなわけで、イタリア語で「Macedonia(マチェドニア)」とはマケドニアの国自体を指すほか、何種類もの果物が色とりどりにミックスするフルーツポンチの意味もある。ひとつ屋根の下に、文化も言語も違う他人同士が暮らすのは、なかなか容易なことではない。

民族が多く、一概に国民性を説明するのは難しいようです。

モンテネグロ

閉ざされた秘境

p388
人口約62万人の約3分の1はセルビア人で、旧ユーゴスラビア共和国の中では最もセルビアと関係の深い国だ。

p389
「世界の名所1000」に選ばれたモンテネグロは、クロアチアから続くアドリア海岸が美しい海と、山に囲まれた大自然の国だ。黒いゴツゴツした岩山に囲まれた地理的条件から、隣国クロアチア、ボスニア、セルビア、アルバニアのどこからも、狭く険しいヘアピンカーブの山道からしかアクセスできない陸の孤島である。そのためモンテネグロは、長い間、周囲の国からも世界からも閉ざされた秘境と呼ばれていた。

p391
夏場の三カ月は別荘やホテルに長期滞在者が押し寄せ、モンテネグロの人口が何倍にも増えるが、夏が過ぎると潮が引くように人影はまばらとなり、冬はさびれたゴーストタウンとなる。「モンテネグロ人は働かない」「怠け者」と揶揄されるのは、現実的に冬場は仕事にならないからで、この夏の海のリゾート業がモンテネグロ人気質を形成したのかもしれない。

小さめの国土に豊かな自然観光資源を持っているモンテネグロ。謎に包まれています。

この本で旧ユーゴスラビア”から生まれた6つの国について知ってよかったこと

  • 旧ユーゴスラビア時代の多様性は、1から7の数字で表され、1つの国、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、そして7つの国と国境を接するという複雑さを示していた。
  • ユーゴスラビアの共産主義時代は、貧富の差がなく、気ままに仕事をして暮らせる楽な生活があり、さらにアメリカやソ連、東西ヨーロッパのどちらにもビザなしで行ける特権があった。
  • セルビアは旧ユーゴスラビアの中心であり、チトー大統領が東西両陣営から経済援助を受けて生活を楽しむことを可能にしたが、彼の死後ユーゴスラビアは分裂し、セルビアは孤立しEU加盟には困難が伴っている。
  • セルビアでは、夫婦喧嘩がありつつも、女性が外で働き、家事もこなすため、家庭内暴力は少ない。
  • スロベニアはEUにすんなり加盟し、堪能な語学力と世渡り上手さを持ち、上品で物腰やわらかい。
  • クロアチアはイタリアの宗教観やハンガリーの上品なマナーを継承し、空気を読むのが上手で、変わり身が早いとされる。
  • ボスニア・ヘルツェゴビナは多様な民族が入り混じっており、内戦が起きた。オシム監督のように、苦労があった分、知恵と思いやりを持っている。
  • マケドニアは国旗や国名でギリシャとの対立があったり、民族の共存が課題。イタリア語のマチェドニアは何種類もの果物がミックスしたフルーツポンチで、複雑な他民国家を表している
  • モンテネグロはセルビアとの関係が深く、美しい自然のある秘境で、夏のリゾート地として賑わうが、冬は仕事がないため季節労働者が多い。
よろしければ試してみてください!

【本】ニュースでわかる ヨーロッパ各国気質<8>ブルガリア、ルーマニア、バチカン市国へ続きます

 





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